四万十の海・山・川そして・・・その10

デジカメ1台手に持って、四万十の自然をさまよっています


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その10 219〜278  2009/03/17 熊本城/阿蘇/黒川温泉/臼杵石仏 60枚



   2009/03/17 熊本城/阿蘇/黒川温泉/臼杵石仏 60枚

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2009/03/12撮影

数十年ぶりに訪ねた熊本城・宇土櫓…石垣にそびえる城の風格は、ここからが一番いいようだ。
清正の築いた石垣の美しさが、もっともよく出ていると思う。

昔懐かしい風景でもある。
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2009/03/12撮影

最近、かなりの部分が再興されている。
大天守閣…昔はなかったものだ。

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2009/03/12撮影

大天主と連なって小天守閣も再興されている。
迫力満点だが、宇土櫓と違いコンクリート造りのため、趣には欠ける。

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2009/03/12撮影

宇土櫓を場内から見るとこうなる。
この角度でも美しく趣がある。

昔は小西行長の築いた宇土城の天守閣を取り壊し運んできたもの…と言われていたが、どうやらそうではなかったらしい。

熊本城で製造された証拠が出てきたようだ。
歴史は変わっていきますね。

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2009/03/12撮影

本丸御殿大広間…昨年完成したばかり。
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2009/03/12撮影

本丸御殿の縁側…どこもここもぴっかぴか。
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2009/03/12撮影

若松の間から昭君之間には、色鮮やかに障壁画が描かれている。
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2009/03/12撮影

昭君之間障壁画
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2009/03/12撮影

昭君之間障壁画

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2009/03/12撮影

阿蘇の外輪山…山の草が枯れて、こんな奇妙な色を呈している。
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2009/03/12撮影

外輪山の内部に入り、小国町を目指している。
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2009/03/12撮影

外輪山を抜け、内部に入り、今また外輪山を抜けて外へ抜けようとしています。
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2009/03/12撮影

外輪山の上に立ち、四方を取り巻く外輪山の大きさを眺め、感動…この山が爆発せずに残っていたら富士山よりも高い山だった…と巷間言われているが、ちょっと話がでかすぎて想像がつきません。
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2009/03/12撮影

ここは、かって阿蘇の噴火口だったところ…何万年前のことか私は知らないが、人間というものは、よくこんな所に住めるよね。怖くないのだろうか?
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2009/03/12撮影

ここが、現在の阿蘇の噴火が続いているところ…天気が悪いせいもあって煙は確認できませんでした。

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2009/03/12撮影

黒川温泉のドン後藤哲也の掘った洞窟温泉で有名な「山の宿 新明館」…今日はここで一泊します。
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2009/03/12撮影

宿は山際にへばりつくように建っており、前は田の原川が流れている。
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2009/03/12撮影

黒川温泉には、他にはない大きな特徴がいくつかある。
ここに来る前にも、テレビ等で若干の話は聞いていたが…百聞は一見にしかず…現地を見て、現地のドンと話をして、やっぱり黒川は凄い!と感じました。
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2009/03/12撮影

中心街の地蔵堂…さっそく上がってお参りならぬ探検に…。壁に下がっているのは入湯手形。外にはびっしりとかかっています。
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2009/03/12撮影

地蔵堂を探検して外に出ようとすると、出口にはどういうわけかゲーテが…地蔵とゲーテは不釣り合いの気もするが、いいことを言ってるから、まあいいか。
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2009/03/12撮影

豊作を願う…しゃもじを持ったお地蔵さん…ところどころにチョコンと鎮座ましましています。
派手さを抑えた街並みのカラーと雑木を生かした街作りと地蔵さん…何となく、しっくりきます。
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2009/03/12撮影

街は一軒の宿、道路は廊下、それぞれの宿は一つ一つの部屋…黒川をよくするためには、町全体が一つに…後藤哲也氏は言う。僕は嫌われ者だったとです。

しかし、町の嫌われ者がリーダーとなって、こんなど田舎の、変哲もない小さな温泉が、日本一有名な温泉に変わった。

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2009/03/12撮影

丘の中腹にある露天風呂…女性に人気のお風呂である。
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2009/03/12撮影

午前中は、女性専用。午後からは家族風呂として使用されている。私も入ったが、実に気持ちが良かった。

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2009/03/129撮影

露天風呂には、無駄なものは一切ない。見えるのは雑木林ばかり…これが結構安らぐ。
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2009/03/12撮影

この人が黒川温泉のドン後藤哲也氏。私は知っててこの宿に泊ったのではない。偶然なのだが、この宿に入ってすぐ洞窟風呂に気づき、黒川温泉の仕掛け人の話を持ち出したら、当のご本人であった。

話すこと30分あまり、面白くて、私はこの人に弟子にしてもらった。勝手に。ホントは固めの杯なんて考えたのだが、ヤクザじゃあるまいし、まして、氏は昨年脳梗塞で倒れてから、あまり無理はできないそうだ。しかし、ご本人も嫌ではなかったのだろう。朝日新聞社刊行の本「後藤哲也の再生の法則」にサインしてプレゼントしてくれた。

今後、四万十市関係で町興し等の取り組みなどやるときには、協力して貰えるだろう。
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2009/03/12撮影

フロントの横には、囲炉裏の間…黒を基調とした部屋作りと「日本のふるさと」を求める後藤氏の姿勢は一貫している。
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2009/03/12撮影

ここは玄関…さまざまな日本の古い家具たちが、疲れた体と心を癒してくれる。
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2009/03/12撮影

2階に上がる階段には、こんな額縁も…山頭火は九州の出身だったか。どこに行っても山頭火が顔を出す。
またそれが、雰囲気を壊していない。
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2009/03/12撮影

新明館を対岸から見ると、山肌にへばりつく藁ぶき屋根にマキ置き小屋…後ろの雑木の自然とよくマッチしている。

マキ置き小屋の向こうは、洞窟風呂である。外からの目隠しになっている。
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2009/03/12撮影

これも新明館の風景…「旅館にお客を呼ぶ工夫をしようにも、土地が狭くて手の打ちようもなかったとですよ」と後藤氏は語る。
仕方なく後ろの山を利用することに…起死回生となった洞窟風呂が3年の歳月を経て完成する。

もちろん、その後も掘り続け、洞窟風呂は今2つあるそうだ。

1つは、女性専用。もう1つは、混浴風呂。
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2009/03/12撮影

ここが、黒川温泉発祥の共同浴場…穴湯と呼ばれているので、どんなところか…恐る恐る覗いてみたが、素朴な感じの混浴風呂。入浴料は大人100円でした。

感想は、素朴のひとこと。ついでに入口の戸にかかっている白い看板…片側が外れ傾いていたので直しておきました。

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2009/03/13撮影

ここは臼杵市の近く、原尻の滝横の道の駅
雨にぬれて、水車もひっそりと回っていました。
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2009/03/13撮影

今、よく思い出せないのだが、この景色、確かに一度見たような気がする。誰と、何時、来たのか、どうしても思い出せない。

しかし、確かに一度来ている。
そんなもどかしい思いがする風景でした。
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2009/03/13撮影

どうして、こんなところに滝が…山も何もない、ただの平地に突然、ご覧のような滝が現れる。

初めて見る人は、たいてい驚くと思う。通常、我々が滝とはこんなもの…という常識がここでは通用しないのだ。
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2009/03/12撮影

常識の通用しない原尻の滝も眺めていると、そんな違和感も薄れていく。

滝としては、それはなかなか…のものと見ましたがいかがなものでござんしょうか?

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2009/03/13撮影

突然ですが、これが臼杵の石仏です。これまで何度もこの近くを通りましたが、足を運んだのは初めてです。

臼杵〜宇和島のフェリーに乗るためやってきた、この機会…やっと念願の石仏を拝見できました。
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2009/03/13撮影

通路の最初に位置する石仏…9体の阿弥陀像。
鎌倉時代、この辺りの豪族・真名長者が最愛の娘を亡くした悲しみを紛らわせるために、蓮城法師に依頼して、石仏を彫ったと伝えられている。
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2009/03/13撮影

阿弥陀像…全部で60余体ある磨崖仏(まがいぶつ)は、戦後重要文化財として指定を受けるまで、長い間、密林と化した林の中で放置されてきたため、損傷は激しく、一部には形の判別さへ付かないものも存在する。
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2009/03/13撮影

阿弥陀仏…今は修理できるところは、できる限り復元し、風雨から防護するための屋根も付けられている。
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2009/03/13撮影

阿弥陀三尊像…臼杵石仏の中でも最も優れた石仏の一つと言われている。
平安末期の作。
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2009/03/13撮影

地蔵十王像…中央に地蔵菩薩、左右には冥府にあって亡者の罪を裁き救済する十王像を5体ずつ配している。

鎌倉期の作。
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2009/03/13撮影

如来三尊像…中央に金剛界大日如来。右に釈迦如来。左には阿弥陀如来。

台座の穴は、経文を納めていたものらしい。
平安後期の作。
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2009/03/13撮影

如来三尊像…中央に釈迦如来。

平安後期の作。
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2009/03/13撮影

山王山石仏…中央に如来坐像。左右には脇尊としての如来坐像を配する珍しい形だそうだ。

平安後期の作。
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2009/03/13撮影

ここは、順路の最初の石仏をまつるところ。
このような屋根を設けて、石仏を風雨の害から守っている。
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2009/03/13撮影

この辺りの石仏は、傷みが激しく、かろうじて石仏の形や表情が読み取れるほど。
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2009/03/13撮影

これも激しく痛んでいます。特に下の部分はコケが生えていたため磨滅が激しく、形も想像するしかない状況に。

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2009/03/13撮影

古園石仏…これは有名な大日如来像。
以前は落ちた仏頭を台座の前に安置し、長く人々に愛され続けてきた。

修復時に、元の姿に戻された。
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2009/03/13撮影

1000年の時を風雨にさらされ、残ってきた石仏です。傷みが激しいのも当然。

しかし、もったいない気はしますね。
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2009/03/13撮影

宗教には詳しくない、それに加えて不信心の私ですが、よくもまあ、これだけの石仏を彫ったものだと感心します。
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2009/03/13撮影

このすべての石仏を真名長者が彫らせたとしたら、その歳月と労費はいかばかりだったのか?
娘の死を悼む心だけで、これだけの石仏を彫り続けたのだろうか?

人の心の執念と無常を感じますねぇ。
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2009/03/13撮影

何が彫られていたのか?
全く想像もできません。しかし、何かが彫られていた。そのことはわかるから不思議ですね。
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2009/03/13撮影

お堂から里を眺めると、こんな感じです。右手中央の木道は、その左右に蓮池があります。

また、正面の空き地は遺跡公園になっており、今回は尋ねませんでしたが、他の遺跡が点在しています。
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2009/03/13撮影

そして、最後は九州にふさわしく、山頭火で締めくくりとします。

          

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2008年11月16日登録  http://simanto114.ina-ka.com/